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  • 執筆者の写真大野まさき

「日本再生」第512号に掲載された寄稿文

「がんばろう、日本!」国民協議会の機関紙「日本再生」の中のコラム「一灯照隅」用に書いて欲しいと依頼された文章を作成し、同512号(2022年1月1日)に掲載されました。因みに同党仲間の東友美町田市議が寄稿した文章も同紙同号の同コラム内に掲載されています。私の寄稿文は下記のものです。


「衆議院選挙後に思うこと・地域で問われるもの」

 

 10月31日に行われた衆議院議員選挙で、多摩市が選挙区に含まれる東京都第21区と

23区(町田市・多摩市の一部)で、それぞれ立憲民主党公認・野党共同候補の候補者が小選挙区では惜敗したものの、比例東京ブロックでの当選を果たした。今回の投稿では、今回の衆議院選挙を振り返って私が思うことや、その後感じる課題、地域で問われるもの等についてまとめてみたい。

●21区での取り組みと課題

21区は立川市全域・日野市全域・国立市全域・八王子市の一部・多摩市の一部・稲城市の一部という多くの自治体をまたぐ選挙区で構成されている。今回のここでの選挙結果は、自民党の小田原きよしが112,433票、立憲民主党の大河原まさこが99,090票、日本維新の会の竹田光明が35,527票というものだった。また、大河原は惜敗率が88.13%であり、それが立憲民主党比例東京ブロック獲得4議席の内4番目の高さであったことから大河原は比例復活となった。善戦しつつも惜敗率の差で比例復活できなかった同党の山花郁夫候補や井戸まさえ候補等、有能な国会議員として活躍し得る人物が議席を取れなかったことを想うと、辛うじて党内の比例東京ブロックの最後の1議席を大河原が獲得できたことの意義は大変重いものであると感じる。

 大河原は立憲民主党東京都第21区総支部長であるが、前回の当選は比例北関東ブロック単独候補での当選であった。因みに前回の2017年の総選挙時に小選挙区で当選したのは、今回、自民党候補として東京都第18区に転出した元民主党の長島昭久である。

 21区においては大河原が旧立憲民主党の21区総支部長に就任した2年前以降、昨年は共産党の衆院選予定候補者が21区から23区に転出する等、野党の候補者一本化に向けた動きは早かった。昨年の都知事選と同時に行われた日野市での都議補欠選挙で立憲民主党は独自候補を擁立できなかったが、大河原は日本共産党の清水候補を同党宣伝カーに乗車する等熱心な活動で応援。清水候補はその際は惜敗しつつも、今年の都議選本選では当選できた。21区主要な地区での都議選については、立川市では立憲民主党の酒井大使候補、国立市(北多摩第2選挙区)では東京・生活者ネットワークの岩永やす代候補がそれぞれ当選し、大河原がそれぞれの候補を支持する状況が野党共闘を地で行くものとなった。それがその後の大河原の衆院選に対する応援体制につながったと言える。

 大河原は今年3月、立川の自宅マンションのエレベーター内で脳出血を発症し倒れた。命は取り留め、リハビリを重ねたものの、後遺症で左半身に麻痺が残る障がいを抱え、車椅子での活動を余儀なくされた。そのため、倒れてから選挙戦直前までは、姿を現しての政治活動自体があまりできないまま選挙に臨むこととなった。また、選挙戦本番も体調に影響を与えぬよう用心を重ね、大河原本人は時間を区切っての選挙活動となった。

大河原が中途で障がいを抱えたにも関わらず候補者となった姿勢に共感、自身も障がいを抱えながら活動をしているれいわ新撰組木村英子参議院議員や、国政では立憲民主党を支持する大河原もかつては在籍・活動していた東京・生活者ネットワーク、また、選挙区内各地の市民連合、無所属議員、緑の党、新社会党、社民党も大河原を支持、応援した。

しかし、選挙戦で市民と野党の共闘候補という背景のみではなかなか支持が伸びないという印象が残った。やはり前提としては、党として見せる日頃の活動や本人と自治体議員の連携した政治活動が、地域内で日常的に拡がりを持った形では展開してこなかったツケが選挙結果に反映されたのではないかと考える。

 また、前述した通り、選挙本番中に候補者本人が精力的にあちらこちらで訴えることができなかったことから、候補者本人の動きとしては限定的な選挙運動となってしまった。選挙に関わっていただいた政治団体や市民連合は多かったものの、なかなか系統だった連絡や指示が取れずじまいの体制のまま選挙をまわすこと自体に精一杯で、候補者本人が動けない分、同党自治体議員がより各地区で細かくまわって訴える等の活動を事前も本番中も精力的に行うべきであったが、それが十分でなかったと反省している。

●23区での取り組みと課題

23区は、町田市全域と多摩市の多くの地域が含まれる選挙区である。今回の選挙結果は、自民党の小倉まさのぶが133,206票、立憲民主党の伊藤しゅんすけが126,732票という結果であった。伊藤は惜敗率が95.1%、同党東京ブロックで1番高かったため比例復活で議席獲得となった。

前回の総選挙時、伊藤は希望の党で立候補、23区では自民の小倉に負けたものの、比例復活で当選。その後希望の党が民進党と合流し結成された国民民主党にそのまま参加。その後国民民主党を離党、無所属となり、旧国民民主党と旧立憲民主党が合流し結成された現在の立憲民主党が結成されてから正式な23区の同党総支部長、公認予定候補という立場になった。

昨年、共産党は21区から転出した早川寛が23区の予定候補であるとし、地域の市民連合の思いとは逆に候補者一本化の決定は遅かった。しかし選挙直前になって共産党が立憲民主党と競合する選挙区で予定候補者取り下げを行った際に23区がその対象に含まれていたことから、野党候補一本化が実現。自民党との一騎打ちの体制をつくることができた。

伊藤の選挙に向けた体制の特徴として、幅広に支持者獲得をめざす戦略というのが挙げられると思われる。父親が同地区で自民党の元衆議であったことから、保守層にも幅広く接点があり、政治活動の段階から演説会告知のポスターが小倉に劣らない数、選挙区内に貼られていたこと。同様な背景から後援会組織も各地区に組織され、活動がなされていたこと。これまで接点が直接なかった連合との良好な関係をつくるのと同時に、市民連合との関係や野党各党との共闘体制をつくることについても丁寧に追求していったこと。そうした幅広の戦略が実践され、結果を導くことにつながったと言える。

選挙戦においては、駅頭等、目立つ場所での遊説だけでなく、地区内を自転車に乗って有権者の近くで訴えることを取り入れていた。特に遊歩道が整備され、歩車道分離がなされたニュータウン地区がある多摩市内での遊説においては、私も自身の選挙で自転車を活用していることから、自身の経験を活かして、遊説場所の選択と案内役を私が務め、より効果的に、より直接的に訴えが浸透することにつながったと思われ、こうした戦い方を取り入れたことが前述した21区の戦い方とある意味対照的であったと感じている。実際、遊歩道での訴えにおいては、有権者からの反応や励ましが直に伝わり、候補者にとってもよりやり甲斐を感じられる場面をつくることとなり、活動後の候補者の満足感が大きかったとスタッフからも伝えられた。

他にも、駅頭宣伝においては市民連合や野党共闘を前面にした宣伝、連合関係者も加わった宣伝、地区内で行われたれいわ新撰組山本太郎の宣伝の中で紹介される場面等もあり、伊藤ならではの幅広の見せ方がなされたことが大きな特徴であったと思う。

●全体を振り返って

21区と23区、それぞれに僅差で小選挙区では立憲民主党候補が勝てなかった。多摩市だけの選挙結果を見ると、21区は自民党の小田原が6,513票、立憲民主党の大河原が6,351票、日本維新の会の竹田が2,526票という結果であったが、23区は自民党の小倉が27,630、立憲民主党の伊藤が29,872票という結果で、多摩市内の23区では伊藤の方が小倉を上回っていたことがわかる。

つまり、僅差であっても23区の多摩ではこちらが勝ったという結果は大きな意味を持つものと受け止めるべきだと考える。また、21区も含め、比例復活できたということは、それぞれ惜敗率の高さがあったからこそで、それはすなわち多くの人たちの支持が寄せられたから惜敗率も高かったという事実も合わせて意識する必要があると思う。

「野党共闘に問題があった」「立憲民主党が掲げていた政策が間違っていた」等の批判については、少なくとも多摩市内においては当たらないのではないかと考えている。むしろそれまでの自公政権で生じたことへの批判やそれまでの政治を変えて欲しいと思う有権者がたくさんいたということが反映された結果で、そのことを過小評価してはならない。

●地域で問われるもの

しかし、選挙結果が出るまでのマスコミの論調に比べ、思ったほど支持が伸びず、小選挙区で勝てなかった、つまり多数を取れなかったという事実についても重く受け止めるべきで、その状況を変えていくためにどうするのかが問われる。

前述の「21区の取り組みと課題」の中でも述べたが、やはり前提として必要な取り組みは、党として見せる日頃の活動や国会議員と自治体議員の連携した政治活動が、地域内で日常的に拡がりを持った形で展開されることではないかと考える。

市民から寄せられた相談で市レベルが取り組む政策であっても、例えば他自治体での先進事例や国の補助などの関与について、もっと同党同地区の国会議員の事務所を通じて情報収集し、それをもとに市議会での質問や市側への提案につなげていく。また、国の関与や補助が必要な場合は国会議員にも質問や提案をしてもらう作業をチームとして取り組んでいる姿を広報していく様なことも、何をどう自治体議員と国会議員が関わりあって、地域のためにどう仕事をしているのか広く理解してもらうために有効とならないだろうか。

 同じ地域課題について、市議会、都議会、国会それぞれのステージで扱い、それが地域の党の掲げる政策や提案につながるならば、連携を持ったチームの一体感も助長させ、地域住民からも提案を国政にぶつけられる集団として認知してもらえるようになるかもしれない。何か疑問や提案を投げかけたら「対応してもらえる」と思われる連携した活動を心がけていきたいと思っているところである。




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