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  • 執筆者の写真大野まさき

旧北貝取小見学/議運/ウクライナへの侵攻で感じたことなど

今週もあれこれやっている中で直ぐ時間が経ってしまいました。


22日火曜日日中も代表質問に関わるヒアリングや提出書類作成などに追われ、夕方はインターネットが繋がらなくなったという母に急遽呼ばれたりしていました。


23日水曜日は地元自治会掲示物の作成や掲示、zoomでのミーティング参加、急遽頼まれた製作物の作成に取り掛かり、24日木曜日は前日の作業の続きを早朝から午前中いっぱいかけて行いました。午後は旧北貝取小学校に4月からオープンする「市民活動・交流センター/多摩ふるさと資料館」の市議会へのオープン前の見学会に参加しました。

会派としてはこの施設をコロナ禍の中で急ぐ必要がないのではないかと訴えてきたこともあり、オープン前に水を刺したい訳ではないですが、将来の財政問題への具体的な対策や公共施設の縮小などの見直しも明確にされていない中、施設ができること自体に必ずしも納得していません。施設の案内については https://tama-kitakai.com でご覧いただけます。

写真はふるさと資料館の中にある味噌樽。私も写っているため、大きさについていかに大きいのかがお分かりになるかと思います。いぢち議員が撮ってくれました。


25日は議会運営委員会へ出席。4月の市長選に出馬表明し、議員辞職した遠藤委員の後継として、同会派の飯島議員が議運メンバーに加わる方針が伝えられ、この時の議運にもオブザーバーとして参加しました。また、この時の議運では主に以下のこと等が確認されました。

①3月1日に2件の議案が新たに送付され、3/8に審議予定となること。

1)東京都から人物を新たな副市長にしたいとの同意を求める議案 2)市長選挙時に市議補選を行うことが明らかになったことから必要となる補正予算

②3月23日に送付予定で3月30日の本会議時に審議される追加議案が4件有ること。

1)補正予算 2)令和4年度第1回補正予算 3)聖ヶ丘小改修工事 4)レンガ坂工事の変更

③今定例会に出されている陳情の1件は子ども教育常任委員会で、もう1件は総務常任委員会が担当すること。

④庁内組織で東京大会が終わったオリンピック・パラリンピック担当がなくなるので、委員会条例上に記載されている所管の変更を行う必要があり、議運メンバーが提出する議案として30日に審議することになること。

⑤春の議会報告会(意見交換会)はコロナ禍の状況が改善されたと言えないため、前回同様、番組を制作し、インターネットで流すことにすること。但し、藤原議長も市長選挙出馬を表明していることから、議会人事の変更が生じるため、新しい人事が確定した後にその変更の紹介も含む内容を流す番組とすることも確認。


当日の議運の様子は https://www.youtube.com/watch?v=FiazyBklgJc で観ることができます。


26日土曜日午前中は相談対応など。午後は来週末行われる地域の安否確認訓練(災害発災後、無事を知らせるサインとして市指定の黄色のゴミ袋を居室ベランダにくくりつけてもらう)の案内文書作成と印刷、地区住民への配布、掲示などの作業にあたりました。


この間気がかりなのは、ロシアによるウクライナへの軍事的侵攻。まさか本当に起こるとは…というのが率直な最初の感想でした。

ウクライナで思い出すのは、1990年に私が渡米し、コネチカット州ニューロンドンで語学留学をしていた時、ウクライナやベラルーシから移民で米国へ来た何組かのユダヤ系の家族と地域で交流があったことです。

最初に入ったカレッジの英語の集中クラスに彼らが加わることがあり、その中の1人が実際にカレッジの雑用を行うスタッフとして働いていたこともあり、私とその人は仲良く会話を交わす友人となりました。

しかし、間もなくその人が事故なのか、自殺なのか、森の中で急死してしまう事態が起き、お葬式に参列したり、残された家族と私が近所に住んでいたことから、時折訪ねてお茶を飲んだりしたことなどが思い出されます。

その後、湾岸危機、湾岸戦争が起き、湾岸戦争が始まった後に私は帰国しましたが、あちらでは海軍の潜水艦の基地が近くにあったことから、星条旗があちらこちらの家に出され、イベントがある時の最初にアメリカ国歌が会場にいる皆で斉唱されるという場面にも遭遇しました。

もう30年も前ですが、改めて思い出したのは、あちらで地域のバスに乗ろうとした時かバスを降りたばかりの時に、私が日本人だとわかって話をした第二次大戦時の元アメリカ兵だったと思われる人の話です。

その人は私が無理に地元の人の真似をして早く話そうとしているのをたしなめ、日本兵の(兵隊として忠実に動くことについて)優秀性について語っていたのが印象的でした。実際に日本兵と戦っただろうと思われる人の話を生で聞くことができたというのは、今思うと大変貴重だったと感じます。


東京大空襲のあった日もまもなく訪れようとしている中、また、湾岸戦争があった後の日本の国際貢献や日本のあり方が議論されていた時に、実際に日本の政治に関わろうと能動的に動いていったことが今の自分にも繋がっているため、改めて自分が関われること、やることを考えていきたいと思っています。


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