大野まさき
福山市人権平和資料館・大久野島 毒ガス資料館・岡山空襲展示室・八重山平和祈念館視察
更新日:2022年8月19日
8月11日木曜日は、福山市人権平和資料館・大久野島 毒ガス資料館・岡山空襲展示室を、12日金曜日は石垣島にある・八重山平和祈念館へそれぞれ個人で視察を行いました。
11日朝は京王多摩センターから始発電車に乗り、福山へ向かいました。先月の堺市の施設に引き続き、平和と人権について併せ持った施設があるということで、今回は福山市人権平和資料館にまず向かいました。堺の場合と違って、平和と人権の関連に重点を置いたというよりは、平和と人権を主に1階部分と2回部分に分け、明確に分離された展示を行なっていました。堺の場合は平和と人権、環境それぞれのコーナーは分かれていたものの同フロア内で学べるということで関連性を持たす見せ方・学習が可能になりやすいと思いましたが、福山では、平和展示がメインの1階で「人権・平和フォト作品」、人権展示メインの2階で『おこりじぞう』の原画展が行われていたことから、双方の分野がフロア内で全くクロスしていない訳ではなかったものの、両分野の関連づけがもっとなされると平和と人権の関連を見学者の意識に働きかけるとことが可能なのではと感じました。
福山も岡山も主な被害はそれぞれ1日の空襲であったにも関わらず、双方とも被害の実態、被害前後の街の様子の変化、当時の暮らしや生活の様子、歴史の流れ、体験談などが丁寧に展示され、特に岡山については焼夷弾の仕組みが文字や展示のみならず、動画を用いた大変わかりやすいもので説明されていたことが印象的でした。
大久野島については、戦後は国民休暇村が置かれ、近年は「ウサギの島」としてさらに観光地化していますが、戦中までは国際法で禁じられていた毒ガス製造を行っていたこともあって、かつては地図上から消されていたこと、作業をしていた労働者にも毒の被害で障害を負ってしまった人が少なくなかったこと等を学ぶことができました。
しかし、ここで作られた毒ガスが兵器としてどう用いられ、それに伴いどう当時の敵国住民に被害を与えたかについては必ずしも強調はされていなかったように感じました。しかし、画家の岡田黎子さんが、かつて学徒動員で大久野島で風船爆弾製造に携わり、その中の物がハワイで被害者を実際に生んだことを後に知って、被害者意識を持ってハワイに自身が訪ねたという事例について、直前に見学した福山市人権平和資料館の職員から聴かされたことも今回、毒ガス資料館へも見学することにつながりました。
この様に、強制的に危険な作業に従事させられた経験や作業を通じて障害を持つことや、日本人の犠牲者を生むことにつながったことを語り継ぐだけでなく、実際にこの島で製造されたものが他国で被害を与えたのかという視点も合わせた展示や語り等にもつながっていくことを願いたいと思います。
11日は岡山に泊まり、12日は岡山空港から那覇経由で石垣島へ向かいました。八重山平和祈念館が沖縄平和祈念資料館分館として存在することを知ったことで、沖縄本島の戦争遺跡や資料館、平和祈念館は何度が訪れたことがあっても、他の島の資料館に行ったことがなかったため、今回見学に行ってみようと思いました。
同館は、戦争マラリアの実相を正しく伝えること、人間の尊厳が保証される社会の構築、八重山から世界に向けて恒久平和の実現を訴える平和の発信拠点としての形成を目指すとされています。マラリアについての基礎知識についてもここで学べます。また、八重山諸島には本島と違ってアメリカ軍との地上戦はなかったものの、大戦末期に強制的に八重山諸島住民がマラリアの無病地帯から有病地帯へ強制疎開させられ、マラリアに罹患しても十分な食糧と薬がないまま過ごさなければならなく、約3,600名が亡くなったこと、戦後の「ウィラープラン」によって1961年以降は患者が発生していないこと、発生源の蚊が駆逐されたこと等もわかりました。ここでも人権がどれだけ戦争で犠牲とされてしまうのなのかが実例としていくつも挙げられると感じました。
現在我々はコロナ禍で生活していますが、そうした中においても見落としている人権侵害はないのか等、思いを持っていかなければならないと思ったのと同時に、戦争がある意味最も大きな人権侵害を与えるものとなり得ることも学ばなければならないと思います。
