大野まさき
積極的な「政治選択の機会」となるために
『日本再生』(www.gannbarou-nippon.ne.jp/) 第526号に私の投稿が掲載されました。
内容は以下のものです。
統一地方選挙が積極的な「政治選択の機会」となるために
「市民が主体的に関わって、政治を変える取組みをいかに進めていけるのか?」
これは、本誌の読者が特に意識している共通のテーマではないかと思っている。この間自身が関わった取組みを振り返って、そのテーマにどれだけ則したものとなっていたのだろうか…。今回振り返り、この間の気づきと所感について述べてみたい。
●西東京市議選
西東京市議会議員選挙(定数28名)は昨年12月25日に行われた。同月26日の西東京市民による地域報道Webサイト「ひばりタイムス」記事見出しでは、「西東京市議選、長井秀和氏トップ当選 自公が過半数割れ、立憲4人全員当選」となっており、立憲(以下、「立憲」)がこれまでの倍増の4議席獲得できたことは成果であると受け取られていることがわかる。
旧統一教会問題への関心が高かった中、自公側への影響はあったと思われ、有名人ということだけでなく創価学会を脱退した背景がある長井氏が、宗教2世問題への関心も高まる中、支持拡大に繋がった要素は少なくなかったのではないか。一方、自公側の当選者は13人で、全体の半分以下となった。
旧統一教会問題への関心が高かった中、自公側への影響はあったと思われ、有名人ということだけでなく創価学会を脱退した背景がある長井氏が、宗教2世問題への関心も高まる中、支持拡大に繋がった要素は少なくなかったのではないか。
一方、世論調査で立憲の支持率が必ずしも伸びていない中、候補者4人全員の当選に繋がったのは、正直、私自身は予想していなかった。現地の取組みや各々の候補者の実情をよく知らないまま勝手に立憲の苦戦をイメージしていただけだが、候補者当人たちや選挙応援に関わった人たちの頑張りは勿論、旧統一教会問題の影響から立憲に投じる有権者がいたことも得票に繋がったのではないかと見ている。
しかし、私が気になったのは、生活者ネットワークの現職候補者たち2名がそれぞれ高順位(3位と6位)で、立憲の候補たち(7位、14位、24位、28位)よりも上位で当選していたということだ。元々、西東京市の生活者ネットワークが高順位で当選する傾向はあったが、旧統一教会問題等で自公離れした層が積極的に立憲を支持するより、他の選択肢として生活者ネットワークに支持が向いた部分もあったのではないか。
今回の西東京市議選では立憲がこれまでの倍増の4議席獲得したこと自体は快挙であり、現職2名の日常活動が実り、エリア分け等、新人2名を増やす前提を作り、各候補者の努力もあって躍進したと言えると思う。
しかし、「自公が駄目ならば立憲に」とは必ずしもストレートにならないことにも向き合うことが問われていることを、我々立憲の春の統一自治体議員選挙(以下「統一選」)を控えた予定候補者は忘れてならない。
●立憲にもっと「必死に訴えてくれ」の声
統一選を控え、政治活動として駅頭等での朝のアピール活動を行う予定候補者が増えている。私自身もアピール活動の頻度は通常より現在は増やして動いている。
先月、通常のアピール活動では立たない場所で、早朝から自身の活動報告チラシを配布していた時だった。「もっと必死に訴えて!」といきなり声をかけられた。
その方は「チラシをただ配っているだけではなく、音を大きく出して(マイクで)訴えないのか?」等を私に訊いてこられた。その時の時間帯やその場所柄から、すぐにそこでマイクを用いて訴えるのが難しいことや、通常は他の場所や時間帯に、また時折、地域の宅地の中に入ってマイクを用いて訴えを行っていること等を私はお伝えした。
その方はおそらく地域に住んでいらっしゃる方ではなく、お仕事の関係で今いる場所を訪れ、たまたま私のチラシ配布の姿を見てお声をかけてくださったと思われる。しかしその方が仰りたかったことは「他の時間帯や他の場所でどうやっているから良いんだではなく、その時々、一瞬一瞬においても必死に訴えている姿勢が必要なんではないか」ということであった。
ハッとさせられた気がした。たまたま早朝でもあったので、またその箇所で数度同じチラシ配布を既にしていたこともあり、地声で声出しするにもその時の私が必死さを感じさせる姿勢でなかったことについては認めざるを得なかった。
その方は私にお伝えしたいだけでなく、立憲全体に対しても「もっと必死に訴える」姿勢が一般的に伝わるようにして欲しいとお伝えになりたかったということがお話を伺っていてわかった。
また伺う中で「本当ならばもうリタイアしたいのにそれでは暮らしていけない。必死な思いで働いている。議員の人たちは高給だからそんなことは本当には理解していないだろう。」というご自身の背景や思いについても触れられた。そうした思いを抱えながら、立憲の文字が目に入ってたまらなく声かけしてくださったようだった。
岸田政権の行き詰まり等も見られ、本当は立憲が支持率を上げるチャンスなのにそうはなっておらず、前述した通り選挙があっても必ずしも積極的な受け皿になりきれていない現状もある。「立憲は困っている国民の姿を本当に理解しているのか?何やっているんだ。しっかりして欲しい!」という投げかけだった。
その直後もしばらくその場所でのチラシ配布を続けたが、地声で声を出して呼びかける声がその前よりも張りが出たと感じた。
また何かしら私の動きに変化があったからなのか、駅に向かって走って通り過ぎようとした若い人がわざわざ私のチラシを受け取っていってくれただけでなく、「頑張ってください」と声かけまでしてくれた。
「必死に訴えてくれ!」という喝が効いたのかもしれない。これを党仲間にも伝播して行かねばと思う。やはり一生懸命に活動・行動することが、自分にも嘘をつかず、見ている人にも一番伝わるストレートな方法であると思う。
●統一地方選に向け、敢えて仲間のヘルプ
現在私は、自分の政治活動を増やすだけでなく、求めがあった際には、選挙に初めて臨む新人や経験が浅い現職議員に対し、都内全域の道路使用許可をとっている自車(トラメガを車屋根のキャリアに積んだもの)で駆けつけ、政治活動のアドバイスとお手伝いもしている。
残念ながら現状の党内では選挙準備や政治活動を系統だってコーチまでする体制がなく、地域任せ、あるいは地域内でも活動の仕方や実践を丁寧に指導できる力がないまま新人予定候補を擁立しようとしている実態である。
普通、「選挙の借りは選挙で返す」という通念がこの業界にはある。しかし私の今の取組みは互いに統一自治体選挙に出馬する立場のため、そのルールは成り立たない。見返りを求めたら成立しないボランティアであることを覚悟した上で、取組みを行っている。しかし、活動の仕方に悩みを抱えている同党仲間に対するヘルプ活動は、ベテランの自分だからこそできる対応・貢献であると自負しており、できる限り協力してあげたいというのが本音である。
旧来の自民党政治に対抗する勢力の結集を中心となって進めていく原動力として、多様性を認め合い、困った時に寄り添い、お互い様に支え合う社会をつくっていくため、政治選択として立憲を積極的に選んでもらえるような選択肢となるためには、統一自治体議員選挙は無視できないものである。
しかし、それを考えるならば予定候補者の頑張りに任せるだけでなく、その人をどうやって選挙で勝たせていくのか、そのための準備と政治活動のノウハウやアイディア、ヒントをどう与えていけるのか、活動の現場からは求められているのにも関わらず、その部分の面倒見が求められていると思われるのに手薄である。
一番良いのは、予定候補者が前もって事前に他人の選挙をスタッフとして積極的に関わり、良いものと思うのはお手本に、そうなるのは自分はお断りと思う例は反面教師として、学んでいくことである。
しかしそうした経験を十分積まないまま予定候補者となってしまった例や、議員にはなったものの活動の仕方をわからないまま過ごしてきてしまっている例が立憲内には少なくないように思われる。
四年前は立憲への風で当選できたかもしれないが、その当時の状況とは大きく異なっている現状で、どれだけ当選者を増やすことができるのか…。それは最終的には候補者の頑張りにかかっていると言えると思うが、それで突き放してしまうのではこれまでと変わりないのではないか。効果的で意義のある活動を事前に教えてあげられたならば取り組めたかも知れないのに、しないまま、知らないままで折角の挑戦が失敗してしまうとしたら勿体ない。
そんな思いから、依頼を受けたアドバイス・お手伝いについては基本、なるべく対応するようにした。自身ための活動の時間がその分削られることにはなるが、それよりもこれから政治の世界で活躍してもらえる新しい人材が、自信を持って力を発揮してもらえる環境づくりをお手伝いできる方が、後で後悔するくらいならば今関わっておく方が良いと判断している。
活動の仕方の工夫で獲得できるものがどんなことなのか、予定候補者とイメージが共有できれば、今後のその人の政治活動や選挙本番の動き方にも波及するものとなる。
また、お手伝いをしながら、実は私自身の活動を比較・省みる機会ともなる。前述したように自身の活動時間を単に削られたと考えるのでなく、新たな気づきの時間を得ることになったと考えるようにした。これまで何回も選挙やってきている自分でも、他所の活動を通じて気づきになることはまだある。選挙に向けて取り組む活動は一緒でも選挙自体は同じものは決してない。自身の選挙を振り返ってもその都度その中身が異なっていたことから、直前の他所での経験が自分の選挙に活かせることにもつながる。
●それでも自発的に協力する市民の力の必要性
しかし、いくら私がわずかばかりの知識と経験、必死さを忘れぬよう候補者にお伝えしたところで、それだけで選挙はできない。やはり、その選挙に関わっていただける方々の協力があって初めて成り立つことを忘れてはならない。
本紙の読者の方々のように、自発的に応援したい候補者を支える活動に飛び込んでいただける機会があればとても有り難いと思うと共に、そうした姿、つまり色々な市民がこぞって応援している候補者であるという姿を一般の人たちに見ていただくことも、その候補者の支持を広げるため、究極は国政も含め今後の政治を変える可能性を幅広い人に感じてもらうためにも必要なことではないかと思う。
しかし、そうした活動が選挙に関わる活動の時だけでなく、できれば日常の政治活動の中でも展開できればなお良いと思うし、ボトムアップの政治を掲げた立憲こそが本来もっと行うべき取組みではないかと強く感じる。
そんな意味からも是非、読者の方々の地域の立憲の議員や予定候補者にもそうした姿勢を持った活動の必要性と、政治選択の機会としての統一選でもあることを投げかけていただき、来るべき衆院選の機会に備えた機会であることも周りの有権者の方と共有していただきたい。
